宮沢賢治の詩集「春と修羅」には、さまざまな「青」「蒼」が出てきます。
序文に、
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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です。
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
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から始まります。
また、『薤露青』(かいろせい)という詩もあります。
薤露青とは、薤(ラッキョウ)のものすごく細い葉にたまった露の意で、
古来人の命のはかなさのたとえとして用いられ、
それに「青」付して色彩表現されたようです。
他にも「青」という色は、詩の中にときどき出てきます。
青い色とは関係のない話ですが、
以前、吉本隆明さんが書かれた宮沢賢治さんの理想を読んだことがありましたので、
ここに引用させていただきます。
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そこで菩薩はどんな特性をもっているかといいますと、ひろく大乗仏教の理想ですが、鋭敏な察知がすぐでき、その察知のように他人を救済することです。
相手が何をかんがてえいるかすぐにわかることはもちろん、遠く離れている人でも救済をもとめていれば、すぐにその場所に行ってその人を救けられる。
菩薩の察知はそんな時空を超えたものです。
『雨ニモマケズ』というよく知られた詩がありますが、そのなかで、『ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ』ということばがあるでしょう。
つまり、人のいっていることは、よく耳にいれ全部わかってしまう。そしてそれを忘れない。
そこへすぐ行けて、困っていたらその人を救けられる。
それが宮沢賢治の理想だったということです。
吉本隆明
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