藍という植物が人間にあたえられたことは恩寵である。
青こそ天からしたたり落ちた色であり、藍という植物によって人々が醸成した色である。
藍は天上の色でありながら、すぐれて地上の色である。
貴族の色であるよりは、庶民の色である。西欧の色であるよりは、東洋の色である。
もう一つ言えば日本の色である。
母がよく、日本の女性は藍の着物を着た時が一ばん美しい、と言っていた。
小柄な肌の白い黒髪のつややかな日本の女性に紺のすがすがしい緋の着物を着せたい、
それは日本人なら誰しも思うことだろう。
藍は建てるといって、さながら甕の中は小宇宙のようである。
その小宇宙に生命が宿り、藍の色が生れる。
他の植物は大方、釜で炊き出して色を得るが、藍だけは特別の行程を経なければならず、
古来より、地獄建て、鉄砲建て、澄し建てとさまざまの行程を人間の五感をたよりに建てるのである。
藍の色の生命は、涼しさ、いさぎよさ、きよさにあるといえる。
濁ってはならないのである。
藍の最も盛んな色を縹といい、終末に近づいた色を甕のぞきという。
縹は輝く青春の色であり、甕のぞきは品格を失わぬ老齢の色である。
その甕のぞきほど至難な色はない。大抵の甕は終りに近づくと力を失う。
水甕の上からのぞいたような淡々とした色、老いてなお矍鑠とした気品を備えた色なのである。
『母なる色』志村ふくみ